祇園エキスカーション
- 日 時 2019年10月19日土曜日 午前10時から
- 場 所 午前10時に四条花見小路角のお茶屋「一力」の前に集合
京都府東山区祇園町南側 京阪祇園四条駅、阪急河原町下車約10分
- 内 容
祇園における土地管理の歴史などの説明を受けつつ、街を歩き。京都市関係者から景観条例によるデザイン誘導、建築条例等による防火規程・接道規程緩和についても説明。その後、祇園甲部お茶屋組合の事務所(国登録文化財)(京都市東山区祇園町南側570−2 弥栄会館 (甲部歌舞練場横))でまちづくりに関するお茶屋組合や祇園町南側まちづくり協議会による取り組みのレクチャーを受け、解散。
一力前集合、平竹耕三氏挨拶、元東山区長、鷲津八坂女紅場学園専務理事と高木京都市建築指導部長の紹介。
鷲津氏の案内
明治になって奉公みたいな形で芸妓さんが平等となったが、仕事を身につけなければならなくなりお茶をつくる技術を習得したのが女紅場だった。
明治26年に建仁寺の土地(一部、六波羅密寺の土地を含む)が京都府に上げ地されて、女紅場に払い下げられた。女紅場の施設がなくなった後は、お茶屋が建ち並んだ。
女紅場としてはお茶屋さんの町並みを守るために、新しく建物を建てる際にお茶屋さんの町並みを守るという条件で土地を貸している。そのために景観に配慮した建物が建てられている。
土地の所有者としての条件だけでは不十分なので、京都市が景観行政で規制をかけている。
高木氏の説明
コミュニティルールで街並みを守ってきたが、法的な位置づけでもしっかり保全継承していく必要がある。京都市の祇園町南歴史的景観保全修景地区ということで法的な規制がされてからは約20年程度の歴史がある。
建築行政の課題としては、4m未満の二項道路が多い。セットバックすると町家の風情が無くなる。準防火地域だったので増築などをすると防火改修が求められるが意匠形態が変わる。この2点が課題だった。
準防火地域だったものを外した上で、新たに防火規制をかけた。外観は木質のまま、内部は不燃化した。
3項道路指定の活用し、現行の街並みのままできるようにした。
弥栄会館前
鷲津氏が説明。
歌舞練場は療養院、旧福寿院といって建仁寺の塔頭の一つ。京都府の病院だった。お茶屋さんと娼妓さんの病院だった。京都府が病院をもっていたが、大正2年に歌舞練場、別館棟、八坂倶楽部の建物がすべて建った。それ以前は、花見小路を挟んだ旧清住院を歌舞練場として使っていた。それが大正2年に移った。
歌舞練場は京都以外にそのような名前のところはない。歌舞練場は芸舞妓さんの芸事の練習の場でもありその成果を発表する場でもある。京都の特徴的な施設。
各花街が歌舞練場をもっているが、一番古く大きいのがこの歌舞練場。現在は耐震の関係で使っていないが、耐震改修をして2022年の都おどりはここでできるようにする。今、工事を本格的に始まるところである。
八坂会館は、歌舞練場の機能を補完する役割がある。劇場もあり、風船爆弾が作られたというが、そのため壊されてしまった可能性がある。昭和34年に技芸学校が建ったが、少し歌舞練場とは離れていて、渡り廊下でつながっているが、雨の時は芸舞妓さんが困る。新しくできる技芸学校は昔の形に戻してL字型に歌舞練場につなげたい。
弥栄会館会議室内
鷲津氏の説明(資料:祇園町南側地区(祇園花街)の歴史)
花街の定義、芸妓さんが芸によってもてなすことができる街を花街という。慶長年間から鴨川の河原に芝居小屋、料理茶屋等。寛文の新堤以降、新地開発、1713年から祇園六町の造成がはじまる。その後花街として発展。
1750年代から、芸によってもてなす花街となっている。
幕末の花街は、北側。吉井勇が遊んだ白川にせり出す建物も北側。幕末から明治にかけての花街は、四条通の北側が花街としては中心。
明治6年に建仁寺の土地が払い下げられ、女紅場となった。お茶屋さんではなくて、製茶所や養蚕所。弥栄会館のある所は養蚕所だった。
女紅場は、各地につくられた。花街ごとにあった。女紅場には3種類あり、良家の子女の学校に併設したもの、一般の市民の手仕事を身に着ける市中女紅場、それと遊女女紅場があった。
質問 歌舞伎と花街の関係は?
鷲津氏の回答
出雲の阿国は、北の天神さんのところ(上一軒)で歌舞伎を興行した後、祇園で興行したとの記録がある。祇園は別の興行主がいたという記録がある。祇園と芸能は関係が深い。北野の天神さん、八坂神社など神社に芸を奉納するということで縁が深い。
鷲津氏の説明
第1回の都をどりは、京都博覧会の附博覧、余興として祇園の「松の家」で開催されたが、第2回目以降は歌舞練場で開かれた。清住院のあったところが活用され、現在の歌舞練場は大正2年に建設された。
明治19年に、祇園が後部と乙部に分けられた。乙部は、祇園会館の近く、祇園東。
大正元年に四条通に市電が通り、北側にあったお茶屋が立ち退き祇園町南側に移された。
ほとんどの人が結局は芸妓、娼妓にもどり、手仕事を身に着ける女紅場の意義が薄れた。女紅場が、芸舞妓さんが芸事を身につける場となった。
土地は女紅場が法人、八坂女紅場学園として所有することになった。土地は、昭和8年の地図ではほとんどお茶屋さん。戦後、経済成長はよかったが、お茶屋が廃業して飲食店にだんだん変わってきている。直接、学園が建てたものもあるが、お茶屋を建ててもらって、おかみさんが高齢化して、お茶屋が続けられなくなり、他の人が入ってくるようになった。
お茶屋としての意匠が崩れると学園としても望ましくないので、お茶屋さんとして街並みが守れるような建物を建てることを条件に貸していく、基準を自分のところで作ってやってきたが、民事上の契約だけでは縛りとして十分機能しないということもあって、平成8年に協議会を設立した。女紅場学園の責任者の方が中心となったが、女紅場学園だけでなく地域全体で街並み、景観を守っていかねばならないということだった。各町内で建物建てたり営業したりする動きがあったら必ず各町内の役をやっている人に届けて協議会へ報告があがり、専務のところへも報告がきて、専門家、大学の先生に基準に合うかどうか判断してもらう。それに合うということでなかったら貸さない、それを、地域をあげてやっていくということである。
(歴史的な地図の説明)
高木氏の説明
取組の実現を可能とした要因は、協議会が意識調査や勉強会を実施、自主的取り組みを行ったこと。
防火防災の取組:ハードソフト両面で防火防災の取組が充実していたから準防火地域をはずせた。木製格子戸、木製建具を利用可能とした。
3項道路指定の活用。
主要道路沿いを含み3件火事が起きた。木造だから火事が起きやすいということはないが、延焼しやすいということはある。京都市の消防は通報から到着まで6分半(全国は7分半)でかけつけ、消火活動の際の隊員配置のフォーメーションはシミュレーションできている。火元から延焼しないよう、周辺家屋に重点的に放水がされる。
燃えても大規模な延焼につながらない消防力はあるが、火災が起こらないようにするにはどうしたらよいか、考えなければならない。
歌舞練場の話だが、増築部をつなげるということがあるが、現在の建築基準法では、現行規定に基づき、既存部分にも法が遡及適用された改修が必要となる。そうすると既存建築物の意匠を残したままでの改修は無理。このため、建築基準法の適用除外条例を活用して改修が行われる予定である。
耐震改修については伝統的な形を復元する形でお願いしたい。
(質問)
忠臣蔵の一力はどこにあったのか。
(回答)
歌舞伎の忠臣蔵は、万屋という名前を使っている。
大石内蔵助が通ったのは伏見という話がある。
平竹氏
総有として目をつけたのは、北側と南側の街並みが全く違うことから、原因を調べたかったから。北側は雑居ビルばかりで、お茶屋さんは点々と中にあるのだが、南側は町並みが整っている。この違いはどこにあるのか。
行政が花街にかかわることがいいのか、行政内にも議論があった。観光的なところで、舞妓さんがキャンペーンにかかわってくれたが、京都市としては何もやっていなかった。最初に来たのが、協議会ができた頃。そうするといろいろ話をきくと地代が相当安いし、維持しやすい。学校法人といってもお茶屋組合や芸妓組合の代表者が理事をやっている。その地域で支える仕組みを知りたかった。
当時、30代だったが、親切に教えていただいた。
(龍谷大学での研究の取組と著書の紹介)
会場から
テナントを貸す際には、プランでもめる。街並みを守るのは重要だが、最後は、仕事につなげなければならない。テナントは高いものを売りたいが、実際はその狭間にある。
テナントとトラブルとは、建物のデザインでも店舗の運営でも起こる。
ブライダルで展示場にしたいとか、化粧品を売りたいために歩いている人をつかまえたいとか。あこがれてきて、最終的にお茶屋につなげるようなことを考えなければならない。
時代の回転が速すぎる。
かつては、お茶屋は、銀行の支店長が使う、ビジネスマッチングの場、パトロン探しの場で文化も生まれたが、そういうことでは今はなくなっている。
鷲津氏
お茶屋でなく、飲食や物販の希望が多い。理事会としても具体的な業種、店舗の基準をもっているわけではない。新しいものを拒絶ばかりしていたら衰退する。
(会場から:錦市場は食べ歩きの町のようになっている。島原も廃れ始めたらそのスピードが速かった)
高野氏
ある程度、このような店という合意はあるのか。
鷲津氏
昔ながらのものがいい、これは良くないという感覚はあるが、それぞれの思いがあるので難しい。
高木氏
地区計画でダメな建物用途は明確にしているが、これがいいというものはない。
野口氏
地区計画で「お茶屋」と書いてあるのか。
高木氏
お茶屋は貸座敷のことだが、文言は風営法の方から引用をしている。
規制をする際に、祇園にふさわしい、としても、何がふさわしいかの判断が変わっていくので規制にはなじまない
五十嵐氏
外国人が増えている影響はどう考えているか。
鷲津氏
迷惑という感覚。花街について理解して来てもらいたいという思いがある。写真をとって帰るだけでは困る。店の中に入ってくる。日本人なら普通にわかることがわからない。
今のところ外国人向けに何かしようということにはならない。
外国人も学んできている方も多い。その学びたいという意欲にマッチングができないか
鷲津氏
花街の文化を理解しようという方もいるので、そういう人向けには何かできないかな、とう思いもある。
直接の申し込みには対応できない。安心して受け入れられるルートは求められていると思う。
鷲津氏
観光レベルではなく、外国の方に利用していただける期待もある。八坂会館を帝国ホテルに運営を任せるとのことの中に、そうした意義もあるだろう。
帝国ホテルは独自の考え方があるので、パートナーとしては良いと思う
以上
「現代総有って何?――土地利用の共同化によるまち再生」
- 日 時 2019年10月19日土曜日 午後1時30分から4時10分まで
- 場 所 京都市景観・まちづくりセンター ワークショップルーム2
(京都市下京区西木屋町通上ノ口上る梅湊町83番地の1(河原町五条下る東側)「ひと・まち交流館 京都」B1階 電話番号:075-354-8701)
- プログラム
- 基調報告 午後1時30分から午後3時10分
1 現代総有と政治 五十嵐敬喜(弁護士・法政大学名誉教授)
2 富山県南砺市城端の空き家再生 日置雅晴(弁護士・早稲田大学・立教大学・上智大学講師・財団法人城端景観・文化保全機構理事
3 現代総有と文化 平竹耕三(京都市文化市民局参事)
休憩
- パネルディスカッション 午後3時15分から4時10分
パネラー 上記3人
コーディネーター 高野恵亮(大阪市立大学大学院都市経営研究科教授)
主催:現代総有を考える会・関西 共催:現代総有研究会
後援:公益財団法人京都市景観・まちづくりセンター
五十嵐敬喜氏 あいさつ
五十嵐敬喜氏 基調報告 「現代総有と政治」
私は、法律家、専門領域は都市法、絶対的所有権をどうするかが関心事項。
20世紀後半のバブル経済化で地価が高騰し、対応するために土地基本法の策定に野党側の立場からかかわった。土地基本法では、土地の基本理念を定めた。
土地基本法は、バブルを助長するような当時の土地・都市法に少しブレーキをかけた。
その後、大きな変更なくきたが、2000年ごろを境に、縮小国家の様相を示す事実が明らかになってきた。商店街のシャッター街化、限界集落の発生、そして北海道の面積を上回るともいわれる所有者不明土地、全国1,000万戸を超えるという膨大な空室、消滅自治体のレポートなど、これらの事実はこれまでの地価上昇と正反対の現象である。土地は最も高額な商品から、最も厄介な商品に転嫁してしまった。
東日本大震災発生時には、政府の復興会議委員として、空地・空室をどうするか、さらに人口減少の課題に対し、総有論が有効だとして意見書を提示したが、経済産業省などは賛同得られそうであったが、国土交通省、法務省は反対であった。特に、法務省には総有論は所有者に対して強い権利を認めている憲法29条に反する革命的なものと反論された。
総有論は具体的には所有者など容易には判明しない所有権には手を付けず、取りあえず、定期借地権を設定してまちづくりを行なおうというもので、復興会議の報告書では「借地権を活用し」という文言は入ったが、現代総有という言葉は入らなかった。
被災地では、予想通り、所有権を確定するために多大な労力がかかった。この現象は今後全国に広がるだろう。被災地だけが特別ではなく全面的に現代総有の考え方を展開しないといけない。
このような趨勢の中で、所有者不明土地の利用の円滑化等に関する特別措置法では、ようやく現代総有の考え方が一部取り入れられるようになった。
これに引き続く、現在、土地基本法の改正も提起されている。平成30年6月1日に所有者不明土地等対策の推進のための関係閣僚会議において決定された「所有者不明土地等対策の推進に関する基本方針」に基づき、法務省など関係省庁とも連携しつつ、人口減少社会における土地に関する基本制度の在り方等について検討を進めるとされたのである。土地基本法改正は、民法や地籍調査などとも関係している。現在、政府は、工程表に基づき土地政策の全体像の見直しを行っている。
いよいよ総有の全面的な展開が土地基本法の改革からはじまる。
ただし、背景として「個化現象」があり、これにしっかり対応しないと制度論だけでは、土地や都市問題は解決できない。
そこで今日はこの「個化現象」について整理しながら、大きく「政治」をどうすべきか考えたい。政治の在り様は、現代総有だけでなく、そのバックグランドになっている「少子高齢化」の問題についても大きな影響を与えるからである。端的に言うと地域の条件にみあった人口(構成を含めて)がなければ、地域は崩壊する。地域の崩壊はやがてその集合体である我が国全体にも影響を与えることは言うまでもない。東日本大震災はその現実をリアルに証明しているとは言えないか。東日本大震災の際に「復興構想会議」が開かれたが、そこでの目標はもちろん災害からの早い復興であったが、それだけでなく、同時に、人口減少地域の歯止めと反転、そしてその営みの全体が、日本全体の少子高齢化対策のモデルとなるようにするというものであった。その目標に向かって、被災地には10年で32兆円という巨額な資金が準備され、日本の全ゼネコンや学者そしてNPOなどのおよそ国力のすべてが注ぎ込まれた。その結果世界でも驚く様なスピードで復興が成し遂げられた。道路、住宅、公共施設、スーパーそして防潮堤などなど金ぴかの町が完成したのである。しかし、現地に行ってみるとすぐわかるが、人があまりいないことがすぐわかる。少子高齢化は止まらない。単身世帯が増えている。もちろん、せっかくの区画整理地に大量の空地が見える。自殺者・孤独死の問題もある。仮設住宅の段階では見回りやコミュニティづくりで孤独死はかなり防いだが、密閉されたコンクリートの災害復興住宅に移ると、とたんに孤独死が増えた。
どうしてこういうことになるのだろうか。道路、防潮堤などの公共事業優先、自治体の国依存姿勢、そして都市再開発、区画整理など土地の値上がりを前提にした時代遅れの法律の適用、あるいは自然を無視した開発一点張りの復興などなど挙げていけば切りがないくらいだ。そこでこれらを現代総有の観点からとらえればどうなるか。
私は大きく言って復興の過程で突き進んだ『個化』(引きこもり、孤独死、無縁社会等、その数字につてはレジメ参照されたい)現象の進行と、それに対する政策不在、つまり、少子高齢化時代に対応する「政治」が不在だったのではないか、と考えているのである。
これは被災の現実を見ればすぐわかる。被災者は当初、近くの学校などに避難した。
居住地からは引き離されたが、そこではまだ顔見知りの人が多かった。次いで被災者は仮設住宅に移る。どの仮設住宅に入居するかは「抽選」で決められる。仮設住宅ではいろいろ不便はったがかろうじて隣付き合いは保たれた。しかし復興住宅になると一転してコンクリートの密閉空間に代わり、その中でだれがどのような暮らしをしているか誰もわからない。
被災者は隣近所、地域、社会から切り離されてしまうのである。
若者は地域から去り、高齢者だけが取り残される。これが復興のもう一つの真実なのである。
さてそれでは政治はこれにどうかかわるか。住民本位の復興。そのための情報公開と各種政策に対する住民参加。これが良く言われる対策である。もちろんこれはスローガンとしては正しい。しかし現実には、特に被災地では、被災者は目前の仕事に追われ、ほとんど参加できない。また防潮堤問題に見られたように少し反対したぐらいでは、国や自治体がいったん決めた政策については絶対といっていいくらいに修正させることができない。さらには最近の日本全体を覆っている政治に対する関心のなさが大きく影響している。これらの状況を考慮すると「住民主体」という正しい回答も、今回の復興では、極めてリアリテイに欠けている、ということがわかってきた。
戦後、政治というと私たちは保守と革新という構図のなかで物事を考えてきた。これを基本としながら高度経済成長以降は、中央集権政治と分権政治、あるいは官僚対市民というような分析枠組みが付け加えられた。最近はこれらの構図をさらにグローバリズムやローカリズムといったような構造でも語られることが多い。もちろんこれは今でも有効な部分も多くあるが、しかし、こういう構図だけで政治を考えることには限界があるのではないか。
これを感じたのも被災地の復興を見てからである。原発事故の福島県を除いて、元岩手県は増田氏、宮城県は浅野氏が知事だった革新的な自治体であった。地方分権の雄といわれて来た自治体が被災に対してどう対応したかというと、正直、革新の跡かたはほとんど見えない。すべて国に追随というような状況で「自治」はどこに行ったのだろうと思えた。
県議会や町議会といういわば住民自治の砦である立法府も、国に対して被災費用をすべて国庫負担で行ってくれという陳情ばかりであった。国負担でいろいろなものを創るのは良いが、その維持負担はすべて地元自治体の自己負担ですよといっても、ほとんど耳に入らない、という感じだった。自治というのは自分の懐も考えてやらなければいけないのだが?
これらはやがて、やがて重税や放置といった形で自治体や住民に跳ね返ってくる。
広域合併の功罪といったものも考えさせられた。被災地でも合併をしたところが多い。その結果中心部から遠い地域、あるいは小さな集落などは、自分たちでは何も決められなくなっている。結局、大きいところが優先され復興の順序も質も変わってくる。
グローバルな経済は具体的には、全国ブランドの地域展開となって、地方の生業(漁業、農業、商業などなど)は、ことごとくつぶされていく。
金ぴかの町、とりわけ防潮堤の構築は、美しい三陸海岸から人を切り離し、観光を台無しにする。
巨大で膨大なエネルギーをつぎ込んだ復興というものが、こういうことであったという現実を、これまでの政治論はどう総括するのであろうか。
少子・高齢化社会の到来とは、ある意味で国家の総力が衰退していくということであり、自治体消滅という事態はそれが行きつくところを暗示する。
もう一度言うと、たぶん日本国全体で、これまでと同じような国や自治体がエネルギーを注ぎ込むということはできなくなるだろう。
そのような場合、住民はどのようにして生き延びていったらよいのであろうか。
国や自治体を当てにしないで、新しい自治組織をいろんな形で構築していく。
このような自治の形態を見せてくれているのが、祇園、高野山、丸亀商店街などなどであり、そこではみんなが手をつないで生きていくという「現代総有」の精神や運営の姿が見えるのである。私たちは今後このような成功例をどんどん創っていかなければならない。
そのような実験を援助するために、現在、気になっている問題を3点あげて、今日の講演を終わりたい。
一つは住民の繋がりを組織化(法人化)するために、株式会社やNPOあるいは公的な法人などが考えられるが、それ等には一長一短がある。いちばん我々のイメージに近いのは計画して事業を行う「組合」であるが、現行組合法にはいろいろ問題もある。これはいずれ法改正論として検討したい。
次に、専門家ががんばらなければならないという点である。都市づくりに関しては例えば、建築家や都市計画家がいるが、最近は商売に傾きすぎている。専門家は金銭、名誉その他利害を超える「プロフェッション」でなければならないのである。
最後に「憲法論」にふれておきたい。特に現代総有にとって気になるのは憲法13条の幸福権の部分である。幸福権の追及はもちろん基本的人権の中枢であり、普遍的なものである、そのなかで「プライバシー権」を過度に強調されると、時々バッテングすることがある。災害時、あるいは個化現象が突き進み、引きこもりや孤独死など状態が見えたとき、どこまで人々や、公的機関が介入してよいものか、新たに整序する必要がるであろう。
加えてこれまでのような国、自治体、国民という縦の構造を、つながりを中心あるいは基本に据える場合に、憲法の地方自治に関する条文をどのように見たらよいか、などという点なども考慮に入れておくべきだろう。
そのような様々な営為の中から生まれてくる政治、あるいはそれを促進するような政治をどういう言葉で語ったらよいか。
これを現代総有の中の「政治論」として考えなければならない時期に来ている、というのが今回の私の問題提起です。
日置雅晴氏 基調報告 「富山県南砺市城端の空き家再生」
富山県の城端町の位置と歴史
善徳寺門前町としての町並みと曳山祭
現代的な問題 空き家の急増、貴重な建物の荒廃、高齢化により個人的な努力の限界
景観保全のための不動産所有
個人所有、法人所有の限界
非営利型保有主体として社団法人の組成
社員の経済的な利益からの切断
荒町庵改修の経緯 社団法人城端景観・文化保全機構設立
資金調達 出資金と補助金
現実的な問題 建築基準法、旅館業法による規制
補助金依存
税制
都市景観大賞の受賞
総有的所有で得られたもの 人的なネットワーク
地域の価値への気づき
プロジェクトの派生
平竹耕三氏 基調報告 「現代総有と文化」
もともとは法学部の出身、大学時代から東南アジア、南アジアに関わっていてまとめたいので大学院に行ったが、そのような時間がなく、三重県の五条版屋敷などを調べ始めた。土地、建物をどのように所有すると幸せに暮らせるかを調べた。
文化の仕事には13年前からかかわって、12年間専門職として無形文化遺産、民族文化財の担当してきた。城端にも行ったことがある。祇園祭が貞観年間、800年代にはじまって、全国に取り入れられてきたのが、最盛期には1500ぐらいあって昔の風情を最も残しているのが城端ということをおっしゃっている方がいた。鉾の高さを2階の高さにあわせるなど観光的な要素がある。
城端の方がおっしゃっているのは、楽器とか民芸品は京都に買いにくるということで、京都は背負っているものが重いと思う。
文化の定義は難しいが、自然にはたらきかけて人間が作り出すもの。富士山でさえ世界文化遺産、山岳信仰や芸術文化を育んだとの位置づけである。
現代総有との関連では、すべての人、集団に関係する文化、生活のなかから生まれた文化が必要である。
重要無形文化財の保持は、総有に近い。工芸技術の性格上、個人的性格が薄く、かつ保持する者が多数いる場合において、これらの者が主たる構成員となっている団体が保存団体である。
結城紬、小谷縮などは、少数者の団体のものとなってしまった。京都の西陣織などが重要無形文化財指定されていないのは、昭和40年代ぐらいにリーディング産業としての意識が強く保護してもらうということではなかったからである。
世界無形文化遺産になるためには、重要無形文化財の指定を受けていることが前提なので、指定が難しくなった。和紙、石州半紙、細川紙は指定されたが、産地で大きいのは越前和紙だが、産業として位置付けているので認められなかった。そこに工夫があってもよかった。
祇園祭は、重要文化財でユネスコの無形文化遺産でもある。鉾町ごとに保存団体がある。町という地縁で結ばれた団体であったが、町中の人口が流出しており、現在は他所に住んでいる人も加入できる。定住人口がゼロの町もあるので元居た人が参加した。
有形と無形が両方ある。山鉾は、33あるが、すべて指定されているわけでなく、最近復興したものははずれる。
例として、橋弁慶山保存会。橋弁慶山とは、五条の橋の上での弁慶と牛若丸の対決を模した山。昭和36年に財団法人、平成24年に公益財団法人となった。
町内は高齢化し付き合いも希薄となったが、橋弁慶山が当町の絆の要となっている。橋弁慶山町家で保存している。
総有的な団体は文化の保存に有効である。保存会は総有主体としてみることができる。
祇園南側も学校法人女紅場学園が一元的に所有、伝統ある花街・甲部が花街の文化を継承している。
花街の仕組み:お茶屋、置屋、芸妓・舞妓、伝統芸能の師匠、工芸職人さん、料理屋さんなど花街は様々な人によって支えられている。
歌舞練場:京都特有、花街特有、両側に花道がある。
花街の中心としての舞踊:「舞」と「踊り」
祇園から学べること:個人の意向で建物が建たない。
女性中心の町、強く自己主張しない。
低廉な家賃、経済的な安定
価値の再認識、守っていこうという機運
現代総有と文化
保持する団体の存在、文化が時代を超えて受け継がれる。
生活上の必然性がある。
客がある、経済と結びつける。
共同的な営み。
自発的な関与、関与することに意義を見出す。
現代社会
逃れられない関係性:地縁・血縁―地域―社会―超社会(インターネット、SNS)
↓ ↓
将来 血縁―総有主体―社会―超社会
地縁が弱まり、地域が総有主体に置き換わるのではないか。
質疑応答
大阪弁護士会 呉弁護士より「事前復興と持続可能なまちづくり」近畿弁護士会連合大会シンポジウムの紹介、参加の呼びかけ
質問:①地域における活動主体は誰になるのか、②グローバル経済、テクノロジーの発達の中で地域文化は継続し続けるのか
回答:
五十嵐氏
①については、全員。地域住民全員である。平等の下に差別が生まれるのではないかという疑義もあるが、それぞれできることで参加することが平等と考える。
法人格がないといけないので、組合を想定する。組合の中で、持ち場に応じて参加することを前提とする。
②について、テクノロジーの発展は止められない。どうやって総有主体が適合していくかは、考えたい。難しい課題。
渡辺氏
テクノロジーと総有の関係について考えたい。政府はSociety5.0を提唱しているが、シェアリングエコノミーは総有を進めると考えている。テクノロジーが進めるとイデオロギーが必要となるが、それがまさに現代総有と考える。
(ソウルでは、シェアリングエコノミーが進んでいる。さらに進むとどうなるかが課題)
日置氏
どんどんテクノロジーが進む中で伝統文化が生き残るかどうか。城端で小学生がみんなで祭に参加したりしているが、経済的な基盤がないとこれまでのように続くかどうか。
もっと貧しい時代も続いてきたので、可能かもしれないが難しい。
城端の漆職人が、インターネットでつながってそのすばらしさを伝える現象も起こり、そのような発展形態もあるのかな、と思う。新しい経済も構築できる可能性もある。
平竹氏
祭の時に返ってくる人がいるということが重要。結びつける絆として機能する。あまり変わっては感動しない。文化は人を結びつける価値である。社会が変わっても、それは破壊のされないのではないか。
司会:高野氏
テクノロジーがあるとつながりやすいが、コンテンツがあってはじめてつながる。つながる核があるとネットワークも発展する。テクノロジー自体が新たなつながりを加速させることも考えられる。
質問:野口氏 都市プランナー
個化、私化が進んでいることはわかるが、そこから現代総有にいくのは飛躍があるのではないか。
城端や京都は伝統文化があるのはわかるが、東京近郊では全て壊れている。圧倒的に個化された住民は、議論のために集まることも難しい。ワークショップを開いても少人数しか集まらない。政府自身がそのことを懸念しており、あらゆる答申がコミュニティを頼りにしているが、あらゆる住民が個化してコミュニティが成り立っていない。
埼玉や神奈川で総有が成り立つのか、そこを埋めていかないといけない。
空き家利用のような、知的な意識のある人が集まるようなテーマ型コミュニティ、アソシエーションに希望があるのではないか。それがコミュニティを変えていくのではないか。
関東の都市住民のように伝統と文化から切り離された住民を前提に考えなければならないのではないか。
超高層マンションの住民のように、富裕層でさえ個化している。
また、IT社会は、頂点が儲かっているだけで、下のものは搾取されているのではないか。距離を超えたテーマ型コミュニティ、アソシエーションをつくるのに役立つという面はあるが。
(会場より)
住宅街で地域の祭りを支えている。地域が高齢化している。町内会の地域活動の担い手がいなくなっている。自治の担い手としての地域力が昔の十分の一しかない。
総有の担い手が地域全体といっても仕掛けが難しい。祇園祭のある鉾町は特別な存在。そうでないところとの差が大きい。
京都市役所 高木氏
地域コミュニティの現状と、総有とは相当な開きがあるが、改めてコミュニティの足腰を鍛えることが重要である。地域コミュニティがしっかりした上で課題に取り組むために総有が必要となる。
西陣に住んでいるが、地域活動としては、防災を除けば、地蔵盆と区民運動会だが、この2つをきちんとやることが必要だと思っている。若い人が参加することが必要。若い人がやめてしまうが、地域の中にいる「やこしいおっさん」嫌気がさすことが原因。そういう人たちとうまくやることが必要だが、若い人はそこまでプライベートで邪魔くさいことはしない。
コミュニケーションの仕方を2層性にした方がよい。距離感があれば、嫌気がささない。参加の形をいままでのようにする必要はなく、気持ちよく参加してもらうことが必要。その上で総有を考える。
高野氏
コミュニティを強くしていくことが必要。面倒くさいおっさんをどうするか。
樋口氏 奈良県議会議員
生駒に住んでいるが、火祭りがある。奈良市の指定文化財にする時に保存会をつくることになった。地元の年よりの総代会が保存会となるが、その下に青年会をつくり若い人を集め、祭りを担っている。若い人は若い人で楽しめるようにしている。若い人も高齢化するので世代間をつなぐことも意識している。青年会は地域とちょっと離れながらやっている。祭りの維持ということで実例ということを紹介させていただき。
日置氏
神楽坂まちとびフェスタの紹介。地縁も血縁もないがおもしろいことをやっているということで集まっている。そういう例もある。城端や京都、神楽坂が一般化できるのかは難しい。地域間で交流もはじまっている。
野口氏
超高層マンションで公開空地を総有化しようとしたら、住民が責任問題を持ち出して、利用を制限しようとする動きもでて問題化した。祭りまではいくが、所有の問題になると強硬になる。空間の問題になると所有と個化の課題が出てきてしまう。
(会場より)
地域づくりに頑張ることで若い人も参加するようになってきた。HPをつくることで、おもしろさを伝えるように自治会がなってきた。何を共有の価値とするかが課題。多くの人の共感を呼ぶことを工夫する課題があると考えている。
高野氏
負の面も考えていかないとならない。
京都弁護士会 湯川氏
公法学会での今年のテーマは「縮小する社会の中で持続可能性」であり、これまで行政が地域社会を担ってきたが、それができなくなってきている。地域社会の人間がみんなでやるしかなくなっている。現代総有という話になるが、実現可能性があるのか。しかし、縮小する社会の中では目指さねばならない。
しかし、まさしく個化している中で、どうやって参加をつくるのか。参加は楽しいこと、文化を通じて実現するが、いざ公開空地などの具体的なものをどうするかとなると議論が錯綜する。
テクノロジー面では、意見が99対1となったときに、テクノロジーはどちらをとるのだろうか。行政法の中では、1に配慮することになるが、テクノロジーはどうするのか。事前復興の中で住民の意見を反映されるとしているが、その意見は誰の者か、1人の意見は落とされていいのかという課題もある。
阪神淡路大震災後の淡路市では区画整理での復興で取り残された人がいる。市議会の事件を扱っていても、百条委員会が正論をいう特定の議員の排除に使われている。民主主義が、討議型ではなく、排除型になっている。これを回復しない限り現代総有も絵に書いた餅になる。本当のコミュニティをどうつくるかを考えていかねばならない。
五十嵐氏
お願い。現代総有はまだ未成熟。実践を積み重ねていくことで世界最先端となる。
来年度、研究所として個化論で特集号を出版するので投稿をお願いしたい。
各地で継続的な勉強をお願いしたい。土地基本法改正がなされる予定だが、案が出た段階でHPに掲載するので、ディスカッションをしたい。
12月2日に東京で住民運動から見た都市法の論点を議論する会食会を開催するので参加願いたい。虎ノ門ヒルズのエキスカーションも行う予定であるので参加願いたい。